2009年02月01日

「ポスト古典的ハリウッド映画のスペクタクル性についての考察」

来週卒論の口頭試問とやらがあるので。自分でまとめなおすのも含め、書いてみる。





序論
 
 今日のハリウッド映画はスペクタクル性が重視され、物語性がないがしろにされているようにも見える。
しかし、このポスト古典的ハリウッド映画をめぐるスペクタクル性対物語性という二項対立の考え方は本当に正しいのだろうか。
本論文ではポスト古典的ハリウッド映画の代表とも言える『マトリックス』三部作(『マトリックス』、1999年、『マトリックス・リローデッド』、2003年、以下『リローデッド』と表記、『マトリックス・レボリューションズ』、2003年、以下『レボリューションズ』と表記、ラリー&アンディ・ウォシャウスキー)を取り上げながら、ポスト古典的ハリウッド映画のスペクタクル性について考察する。



第一章 「ポスト古典的ハリウッド映画」

 第一節 「古典的ハリウッド映画」

 まずポスト古典的ハリウッド映画を語る前に、古典的ハリウッド映画の歴史と特徴をまとめようと思う。
 ハリウッドが最初に注目を浴びたのは1910年代初頭だった。
ニッケルオデオンという安く見れる映画館が大ヒットしていて、ハリウッドは気候の良さ(年中安定して製作できる)や人件費の安さによって注目された。
また、制作会社にいやがらせをしてくるエジソンからも離れることが出来た。
その後1915年までにはハリウッドで15000人が雇われ、アメリカの映画制作の60%を占めた。それが10年後には90%以上になった。

 この時代に数々の語法や技法の体系化が実現したハリウッドの映画こそが、ボードウェルらによって「古典的ハリウッド映画」と呼ばれるものである。
1960年代まで、ハリウッドで支配的なモードだったこの古典的ハリウッド映画は現在でもその特徴の多くが、主流映画の特徴的な形式として残っている。
ハリウッドでは、1930年代前半に定められた「映画製作倫理規定」(プロダクション・コード)が、その後何回かの改正を経ながら1968年レイティング・システムに取って変えられるまで、映画は基本的に老若男女すべての人達を対象として作られてきた。
プロダクション・コードによって過激な描写が禁止されていたからである。
例えば劇中で犯罪を犯す場合、その手口は詳細に描かれてはいけないし、また罪を犯したものは劇中でなんらかの罰が与えられなければならなかった。
また、性描写も厳しくチェックされ、脱衣場面は避けられ男女はベッドを共にすることも禁止された。
このプロダクション・コードによって古典的ハリウッド映画の文法は確立されたし、その崩壊と共に文法も崩れ去ることになる。
 デイヴィッド・ボードウェルは、古典的ハリウッド映画の特徴は「目標を志向する主人公、統一性とリアリズムの原理への依存、時間的・空間的一貫性の機能、不可視の観察者の重要性、結末の恣意性」であると述べている。
古典的ハリウッド映画において、最も基本となるものが「因果関係」である。
古典的ハリウッド映画の主人公は、なんらかの理由によって非日常に巻き込まれ、それらを解決しようと目標に向かって努力をする。
古典的ハリウッド映画は、リアリズムに依存している(道路には車が走っている、主人公はその車に乗ってどこかに行く、など)。
これは観客がなんの説明もなしに映画を観ても簡単に理解ができるようにという配慮である。
古典的ハリウッド映画は、時間的・空間的に一貫している。
フラッシュバックなどの特殊な場合を除き、出来事は順番通りに起こる。
またシーンが変わる時は、そこがどこでどのような状況なのかが、画面や字幕・台詞によって説明される。
古典的ハリウッド映画は不可視の観察者によって語られている、と言える。
限られた時間・空間の中の出来事は、カメラの前で独立して起こっているかのように見え、この物語世界を外から観察するものこそが古典的な語りである。
これによって、物語は作られたものではなく、語りによって表象される前から存在していたように思われるようになる。
古典的ハリウッド映画のエンディングは、因果関係の終結という形で現れる。
すなわち、主人公が問題を解決、目標を達成(あるいは失敗)することによって物語は終わる。
しかし、不十分なプロットの解決で映画が終わってしまうこともあり、古典的ハリウッド映画のエンディングは、なんらかの原因でこじれてしまった世界を恣意的に再調整するもので、決定的とは言えない。
そこで重要になるのが、異性同士の恋愛というラインである。
古典的ハリウッド映画の多くは、最後に男女が結ばれて終わる。
因果関係の終結と男女の愛の成就という二つのプロット・ラインがエピローグに挿入されることにより、「終了の効果」が生み出される。実際には大きな問題の解決によって小さい問題の解決がされていないまま終わってしまうこともある。

 古典的ハリウッド映画は、特徴ある登場人物がなにかの原因によって起きた問題や目標を、解決・達成しようとする物語である。
その表現は、観客が自然と理解できるよう、時間的・空間的に一貫しており、物語はリアリズムに依存した形で進行する。
最終的に小さな問題が解決されないこともあるが、大きな問題と異性の恋愛という二つのプロットが終結することによって、観客には終結感がもたらされる。
以上が古典的ハリウッド映画の特徴である。


 第二節 「ポスト古典的ハリウッド映画」

 
 ハリウッド映画において最も重要な出来事の一つがプロダクション・コードからレイティング・システムへの移行である。
この移行の少し前から「古典的ハリウッド映画」は徐々にその形を崩していった。
そしてレイティング・システムに代わったことが決定的となり、「古典的ハリウッド映画」も「ポスト古典的ハリウッド映画」に移行することとなる。

 プロダクション・コードは50年代になると徐々に空洞化していった。
その原因の一つが「パラマウント訴訟」と呼ばれる事件である。
これは、映画の安定的な供給のために、制作・配給・興行をすべて牛耳っていたビッグ5(パラマウント、MGM、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザーズ、RKO)とリトル3(ユニバーサル、コロンビア、ユナイテッド・アーチスト)が、独占禁止法で敗訴した事件である。
これをきっかけにハリウッド映画の制作はほとんどが独立系の会社で行われるようになった。
また、テレビの人気に押され、人気が低迷した映画は、観客を取り戻すために、様々な映画を作るようになった。
その中の一つが独立系が主に作った「キワモノ映画」と呼ばれるものである。
これは、プロダクション・コードをあえて無視するという点を売りにして観客を集めた。
これを真似する会社が増え、プロダクション・コードは有名無実化していった。
60年代には大作映画がどんどん作られた。
しかし、『クレオパトラ』(1963年、ジョセフ・L・マンキウィッツ)に代表されるように、多額な制作費をかけても、大赤字を出してしまう例が少なくなかった。
そして1968年、プロダクション・コードに変わって、レイティング・システムが始まり、またスティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスの登場によって、古典的ハリウッド映画は終りを迎えた。
ポスト古典的ハリウッド映画の代表が「ブロックバスター」と呼ばれる種類の映画である。
これはテレビなどの他のメディアを最大限に利用し、大規模な広告をうち、観客の期待を煽って全国で一斉に公開する。
公開後はテレビなどで2次、3次利用をする映画のことである。
そのブロックバスターの最初とも呼べるのが『JAWS/ジョーズ』(1975年、スティーブン・スピルバーグ)だった。
アカデミー作曲賞を受賞したジョン・ウィリアムズの印象的な音楽と共に流れる広告がテレビ・ラジオで延々と流され、新聞・雑誌にも大量に載せられた。
こうして期待を高め一斉に公開された『JAWS/ジョーズ』は空前の大ヒットとなった。
ブロックバスター映画は、イベント性の強いスペクタクルを前面に押し出しており、謎が散りばめられた構成は観客の関心を呼んだ。
古典的ハリウッド映画の特徴であった一貫した物語と空間・時間の構成はかなり緩やかなものとなり、途中で物語に直接関係のないような挿話が増えていった。
そしてその2年後『スター・ウォーズ』(1977年、ジョージ・ルーカス)が公開された。この作品こそが映画のスペクタクル性を根本的に変えた作品だった。

 第三節 『スター・ウォーズ』

 『スター・ウォーズ』の大きな特徴の一つは、それまでの映画と違い複数のジャンルを意識的に混ぜ合わせ、映画を作り上げている点である。
ルーカスは、J・R・R・トールキンの『指輪物語』、ジョセフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』やSFや神話に関する様々な文献を研究し、普遍的な物語を作り出そうという狙いを持っていた。
特に『千の顔を持つ英雄』という本は、ルーカスが大学でキャンベルの授業を受け、大いに感銘を受けたものである。
この本の中で書かれている、世界の英雄に共通しているという構造をそのまま当てはめて作ったものが『スター・ウォーズ』であり、その狙い通り世界中でこの物語は受け入れられることとなった。
こうした神話や他の映画の影響をはじめ、SF・西部劇・戦争映画など様々な要素が組み込まれている『スター・ウォーズ』はジャンル分けすることが不可能であり、また無意味である。
これは監督が意識的に、観客に解釈をさせるようにあらかじめ仕組んだものであり、ポスト古典的ハリウッド映画におけるスペクタクル性の重要な要素である。
この流れは『マトリックス』にそのままつながるものであり、注目に値する。
『マトリックス』は「ポスト古典的ハリウッド映画の元祖」とも呼べる『スター・ウォーズ』以上にオマージュに溢れ、哲学や聖書からの引用がある。

 こうして様々な要因がありながら古典的ハリウッド映画はポスト古典的ハリウッド映画と呼ばれるものに移行していった。
しかし、この二つは完全に区切られているものではなく、連続したものと考えるべきである。
ポスト古典的ハリウッド映画は自己言及的表現を多く含む。
「ハリウッド映画の一般的な約束事やジャンルの規則をただ単に守るのではなく、故意に逸脱したり、あるいは前景化したりすることによって逆にそれらを観客に明確に意識させ、ゲームの中に引きずり込む」のである。
最新の技術を駆使した視覚的な過剰さだけでなく、そうした自己言及的表現の意味上の過剰さこそ、ポスト古典的ハリウッド映画におけるスペクタクル性の特徴であると言える。
それゆえポスト古典的ハリウッド映画は、古典的なハリウッド映画とは全く別のものではなく、過剰な古典主義の映画であると言える。
この過剰な古典主義と呼べるものについて、『マトリックス』三部作を取り上げ考察したいと思うが、次章では、『マトリックス』三部作のあらすじ、物語性、スペクタクル性についてまとめる。



第二章 「ポスト古典的ハリウッド映画」としての『マトリックス』

 第一節 『マトリックス』三部作のあらすじ

省略。観れ。

 第二節 『マトリックス』の物語性

 『マトリックス』のあらすじを追うと、物語の二つの重要なテーマが見えてくる。
それが人類救済と愛である。

 主人公がなにかの問題を解決するプロットと、それと平行して展開する男女の恋愛というプロットは、古典的ハリウッドの時代から重要であり、それはなにも変わっていない。
主人公アンダーソンは、ハッカーをしているということ以外はいたって普通のサラリーマンである。
この時点ではなにも物語は始まらない。
しかし「モーフィアス」という謎の人物を探すことによってトリニティと出会い、エージェント達に追われることになる。
これが最初の原因と結果である。
そしてモーフィアスという原因によって、現実世界を知ることとなるし、機械との戦いに身を投じることとなる。
『マトリックス』三部作としてはネオによる人類救済が大きなテーマであるが、『マトリックス』においては、救世主へと成長をする物語である。
しがないひきこもりがちなサラリーマンだったアンダーソンが、カンフーを極めエージェントと死闘を繰り広げ、最終的には救世主ネオに生まれ変わる過程が描かれている。
様々な因果関係を経ながら、最終的な因果関係の決着が描かれている点は、『マトリックス』も古典的ハリウッド映画と同じであると言える。

 古典的ハリウッド映画の時代から男女の恋愛というプロットは非常に重要でそれは現在のハリウッド映画においても同じである。
『マトリックス』でもネオとトリニティとの愛が物語上とても重要であり、またモーフィアスとナイオビ、リンクとジーの愛についても描かれている。
古典的ハリウッド映画でも取り上げたが、映画のラストで男女の恋愛が成就することによって、観客に終結感をもたらす。『マトリックス』では、この恋愛の成就を物語にうまく組み込むことによって、見事なカタルシスを演出している。
『マトリックス』のもう一つのプロットは上記の通り、ネオの救世主への成長の物語である。
預言者はトリニティに「あなたが愛する人こそが救世主である」と告げる。
物語の最後、エージェント・スミスに殺されてしまったネオだが、トリニティの愛の告白とキスによって「復活」し、エージェントを撃破する。
つまり、『マトリックス』では「トリニティが愛する人が救世主」という設定を作ることによって、二つのプロットの解決を一度に持っていったわけである。
観客はネオの復活とエージェントの撃破、そしてネオとトリニティとの愛の成就を一度に味わい、映画は幸福感を残したまま終了する。
しかし、実際には「マトリックス」の中の一プログラムを破壊したに過ぎず、人間が解放されたわけではない。
こうした点は古典的ハリウッド映画と共通している。

 ポスト古典的ハリウッド映画である『マトリックス』も、因果関係に沿った物語、そして男女の恋愛といった、古典的ハリウッド映画の特徴がしっかりと見受けられる。
また『マトリックス』は古典的ハリウッド映画の文法をあえて逸脱している。
『マトリックス』は緑のコードが流れた後、いきなりトリニティが襲われるシーンから始まる。
古典的ハリウッド映画が、街のショット、ビルのショット、部屋の中のショット、登場人物のショットといった具合に状況設定が観客にわかるように映像を並べているのに比べると、明らかに逸脱している構成の仕方である。
こうした構成によって『マトリックス』は、逆に古典的ハリウッド映画を意識させることに成功している。
これらのことから、ポスト古典的ハリウッド映画は、古典的ハリウッド映画から独立したものではなく、その延長であることがわかる。
次に『マトリックス』におけるスペクタクル性について考察する。

 第三節 『マトリックス』のスペクタクル性

 『マトリックス』シリーズのスペクタクル性の大きな特徴は、映像にかかわるものと内容に関わるものの二つに分けられる。
映像の代表としては、被写体はスローモーションなのにカメラは高速で動く「バレット・タイム」と呼ばれる当時の最新技術や、CG・VFXを駆使した映像、またカンフーやワイヤーといったハリウッドではあまり使われていなかったものを大胆に使ったアクションシーン(もちろんハリウッドが得意とする銃撃戦も大量にある)などがあげられる。
内容としては、人物名が聖書や神話からの引用になっている点(NEOはONE救世主のアナグラム、トリニティは三位一体、モーフィアスはギリシャ神話で夢をつかさどる神であるモルペウスから)や、哲学的な主題に満ちた台詞が取り上げられる。
さらには他のSF作品や日本のアニメからの影響も強く見られ、類似したシーンは数多くある。
日本のアニメの影響を受けていると思われるシーンも数多くある。
例えば『リローデッド』でトリニティがビルから飛び降りるシーンは『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年、押井守)の草薙素子に、着ている衣装から飛び降り方までそっくりである。
『レボリューションズ』の最後のネオとスミスの戦いは日本人なら誰でも「ドラゴンボール」を思い浮かべるし、センチネルはその大量の触手と目というデザインや、『レボリューションズ』の最後で、ネオが触手に持ち上げられながら光の中へと入っていくシーンは『風の谷のナウシカ』(1984年、宮崎駿)の王蟲を思い起こさずにはいられない。
こうしたオマージュも、観客の解釈を促すという点(詳しくは第3章で言及する)で、映画を商品として売りヒットさせるための重要な要素になっており、それらが数多く含まれた『マトリックス』はブロックバスターとして非常によくできた映画であると言える。
ただ、これら映像面でのスペクタクル性は物語から完全に独立したスペクタクル性であるとも言える。
つまり、これらのシーンはカットされていても物語の進行にはなんの支障もきたさない。

 しかし、哲学・聖書からの主題や引用は、スペクタクルでありながら『マトリックス』の物語に関わってくるもので、単純なスペクタクルではないという意味においてはこちらの方が映画の中でより重要であるとも言える。
『マトリックス』の物語は救世主ネオの物語であり、それ自体がすでに聖書を下敷きとした話である。
ネオやトリニティという名前の設定を変えてしまっては、それはもはや『マトリックス』の世界観・物語として成り立たなくなってしまう。
NEOがONE(救世主)のアナグラムであるということはすでに触れたが、それ以外にも聖書を意識させる描写は数多くある。
例えば、ネオを導き現実世界へ連れて行ったモーフィアスは洗礼者ヨハネを思わせる。
また『マトリックス』の最後で、ネオは一度エージェント・スミスに殺されながらもトリニティの愛によって復活する。
「復活」はキリスト教の中で最も重要な信仰である。
復活こそがイエスの行った最大の奇跡と言え、また復活が救世主としての条件と言える。
 これらの『マトリックス』の物語性とスペクタクル性は、『マトリックス』は観客にどのように受容され、ヒットとなったのだろうか。
そして最後に『マトリックス』の物語性とスペクタクル性から見た「古典的ハリウッド映画」の特徴について考察する。


第三章 『マトリックス』に見るポスト古典的ハリウッド映画

 第一節 なぜ『マトリックス』はヒットしたのか?

 ブロックバスターと呼ばれる映画は、昨今では頻繁に作られるようになっていきている。
『ハリー・ポッター』シリーズは1,2年に1本必ず公開され、すべての作品がかなりのヒットをしているし、『パイレーツ・オブ・カリビアン』三部作もかなりの興行収入を上げた。
しかしなぜ『マトリックス』という、有名な原作があるわけでもなく、有名な監督が撮っているわけでもなく、スーパースターが出ているわけでもない映画があれほどヒットしたのだろうか(キアヌ・リーブスは『スピード』(1994年、ヤン・デ・ボン)でヒットしたもののそれ以降はあまり注目されていなかった)。
それはひとえに製作の狙いがうまくいったからに違いない。
『マトリックス』という作品は、『スター・ウォーズ』以上に作品自体がイベント化された映画だった。
引用に満ちた内容はファンの間で解釈についての議論が広がった。
議論が盛り上がれば盛り上がるほど、テレビでの放映や、DVDの売り上げが上がる。
新たに見た人が新たに解釈を作り出す。
『リローデッド』と『レボリューションズ』は、2作目、3作目でありながら同じ年に公開され、また本編を補完する話として『アニマトリックス』が発売された。
また、『レボリューションズ』の公開は全世界同日同時刻に行われ、主演のキアヌ・リーブスはこれを東京で迎えた。
こうした映画の中だけではなく外でもイベント化され、再商品化が進むことで『マトリックス』はヒットしたと言える。
『リローデッド』の興行収入が『レボリューションズ』のそれに比べてはるかに多いのは、『マトリックス』の続編という期待と、ラストへ向けて更なる伏線が張られたことが要因だったのではないだろうか。
だから、『レボリューションズ』の公開と共にすべて明らかになってしまった後は(もちろん映画の中で完全に説明されないことは数多くあるものの)、盛り上がりも終息していったと言える。

 ウォシャウスキー兄弟は、幼い頃からコミックと映画に囲まれた生活をしており、『マトリックス』はその趣味がそのまま映画化されたような作品となった。
その結果、様々な要素が詰め込まれた映画が出来上がったのは、2章に書いた通りである。
それらの要素が多種多様な人物によって解釈されている。
しかし、この解釈は妥当なのだろうか。
確かにウォシャウスキー兄弟が明言しているように、『マトリックス』はボードリヤールの影響を受けているし、『攻殻機動隊』を参考にしている。
しかし、それらはすべて監督に仕組まれたものである。
あらかじめ解釈されることを狙った描写をそのまま受け取ってもそれは意味をなさない。
例えば、『レボリューションズ』の最後、ネオが触手に持ち上げられ、光り輝いているショットがあるが、これはあからさまに『風の谷のナウシカ』を意識している。
救世主が犠牲となることによって機械と人間による新たな世界(『ナウシカ』では腐海と人間との新たな世界)が誕生するというシーンである。
しかし、宮崎駿監督にとってナウシカという救世主が女性であることは、非常に大きな意味を持っている。
宮崎作品で男性が救世主的役割を与えられることはまずないであろうし、聖書をベースにした『マトリックス』で女性が救世主となることもない。
このように一見影響を受けて作られているようなショットも少し深く考察すれば粗が出てしまう。
よって、それらを正しく引用しているかどうか、という議論は無意味である。
これらのスペクタクル性は解釈行為を呼び寄せるためだけに用意された、いわばうわべだけのものである。
では『マトリックス』はそういったスペクタクルを全面に押し出した、ただの商業映画なのか?

 第二節 『マトリックス』の自己言及的表現

 結論から言えば『マトリックス』はスペクタクル性だけの映画ではない。
前章でも述べてきたように、古典的ハリウッド映画から継承されてきた物語性というものも強く残っている。
しかし、この物語性は古典的ハリウッド映画の物語性と同一視すべきではない。
『マトリックス』の中では、スペクタクル性と物語性の境界は限りなく曖昧になっている。
『マトリックス』は、古典的ハリウッド映画の文法をあえて崩す、あるいは強調するといった自己言及的側面を持っている。
『マトリックス』において「物語は軽視されるどころか以前にもまして重要な役割をはたしているが、それはスペクタクル化というプロセスをへて変貌したメタテクストとしての物語である」。
スペクタクル対物語という二項対立は成り立たず、互いに影響しあうことによって、ポスト古典的ハリウッド映画は成り立っている。
ここで自己言及的な台詞を言う『リローデッド』でのメロビンジアンとの会話を端緒に、『マトリックス』三部作を分析することによって、古典的ハリウッド映画とポスト古典的ハリウッド映画(の代表である『マトリックス』)の関係について、考察してみようと思う。

 『マトリックス』三部作を通じて常に語られている主題に「原因と結果、選択」がある。
「原因と結果」とは、すでに第1章で述べたように古典的ハリウッド映画における重要な要素である。これは単なる偶然ではないはずだ。この自己言及的表現は古典的ハリウッド映画とポスト古典的ハリウッド映画の関係を考察する上で非常に興味深いものとなる。
『マトリックス』三部作の中でも、最も因果関係について雄弁に語っているシーンが『リローデッド』の中で、ネオ達がキー・メイカーを求めて初めてメロビンジアンと対峙する場面である。
そこで彼はこう言う。

メロビンジアン「君はどうだ?本当はわかっていない。君は指示されてここへ来た。行けと言われるまま従った。物事はそんなものだ。不変の真実がある。全てを支配する唯一絶対の真実がね。因果関係だ。作用、反作用。原因と結果。」
モーフィアス「まず選択がある。」
メロビンジアン「いや、違う。選択は幻想だ。あるのは力を持つ者と持たぬ者だけ。(中略)我々は否定しようとするが見せ掛けにすぎない。平静を装ったすぐ下に完全に抑制を失った我々がいる。それが真実だ。因果関係。我々は永遠にその奴隷なのだよ。唯一の希望と安らぎはその理由を理解することだ。そこが私と彼らの違いだ。君らと私とのな。理由こそが力の源。欠けば無力だ。」

 メロビンジアンはすべての事柄は「因果関係の永遠の奴隷」であり、そこに選択の自由はないと言う。
これはまるで古典的ハリウッド映画の登場人物を指しているように取れる。
古典的ハリウッド映画の登場人物は、なにがしかの理由で非日常に巻き込まれ、それを解決しようと努力をする。
因果関係がなければ彼らの物語は成り立たず、存在しないことになってしまう。
『マトリックス』におけるプログラムは、古典的ハリウッド映画の物語性そのものに対する自己言及であると言える。
オラクルもまた、ネオに対して選択の揺さぶりをかける。
オラクルは終始、問題は「すでにしてしまった選択をどう理解するか」だと言い続ける。
対してネオ達は自分達の選択・自由を信じ続けながらも、常に本当はプログラムによってすべて決まっていたことなのではないかという疑問と戦い続けることになる。
プログラムが古典的ハリウッド映画の物語性なら、それに対する人間(アノマリー)はポスト古典的ハリウッド映画における物語性を示しているのではないか。
ネオとトリニティの愛情が、ポスト古典的ハリウッド映画における物語性そのものであることからもそれがわかる。
ネオは常に選択の自由という確信が本当なのかどうか悩まされる。
自分は本当に自分の選択で行動しているのか。
それとも因果関係に縛られすべて予定通りの行動しかしていないのか。
映画の中ではそれに明確な結論が出ることはない。
しかし、明確な結論をウォシャウスキー兄弟自身出せなかったのではないだろうか。
ネオやこれまでの救世主はプログラムによって生まれたアノマリーである。
彼らはソースに帰ることにより、ソースをさらに上書きして完璧なマトリックスを作り上げるという役割を果たす。
これを映画に置き換えてみるとどうだろう。
ポスト古典的ハリウッド映画は古典的ハリウッド映画を元に生まれたものであり、映画そのもののあり方を上書きしてさらにより良い映画を目指す。
ポスト古典的ハリウッド映画は常に因果関係と選択の自由に悩まされる。
すなわち製作者は、自分は新しいものを作ったつもりでも古典的ハリウッド映画の文法を抜け出せていないのではないか。
あるいは逸脱したと思っても、逆に古典的ハリウッド映画を意識させることになってしまっているのではないか、という疑問である。
『レボリューションズ』は最後に、ネオを吸収したはずのスミスがみな消滅してしまい、マトリックスに平和が訪れる。
スミスというキャラクターは、ネオによって生まれたアノマリーであり、ポスト古典的ハリウッド映画におけるスペクタクル性への自己言及であると言える。
自分自身をコピーさせ、何千人ものスミスが並んでいるシーンは、現代のVFX技術があるからこそできるものである。
最後の戦いの中、いくら殴っても立ち上がろうとするネオに彼はこんなことを言っている。

スミス「なぜ立ち上がり戦い続けようとする?命を捨ててまで守りたいものがあるのか?それが何か分かっているのか?自由か真実か平和かそれとも愛か?それはただの幻想だよ。愚かな人間の知性が意味も目的もなく存在するのを正当化するための幻だ。マトリックスと同じ虚構なのだ。つまらん愛とやらを作り出せるのは人間だけだが。そろそろわかっているはずだ。君は負ける。戦う意味はない。なぜだ?なぜそこまで戦う?」

 平和や愛という古典的ハリウッド映画の重要な要素を、幻想だと切って捨てるスミス。
そしてポスト古典的ハリウッド映画の物語性へと勝利を宣言し、スペクタクル性の勝利で終わるかと思われる。
しかし、その後自分が予想もしていなかった「始まりがあるものには終わりがあるネオ」という台詞を言うことで自分の中に制御できないオラクルが残っていることを知る。
スペクタクルは勝利を目前にして、自分の中に古典的ハリウッド映画の物語性がまだ残っていたことに気づいたのだった。
それに対してネオは「お前は正しかった。これは必然だ」と言う。
恐怖に怯えたスミスはネオを吸収するが、オラクルの言った通りネオとスミスは対極の存在であり、同化した時点で消滅してしまう。
その結果、マトリックスには平穏が戻るが、そこは以前までのマトリックスとは大きな違いのある新しい世界であることは間違いない。
しかし、最終的に選択の自由が存在するのかどうかは語られないままである。

 第三節 『マトリックス』に見るポスト古典的ハリウッド映画

 『マトリックス』三部作は「古典的ハリウッド映画」対「ポスト古典的ハリウッド映画」、あるいは「スペクタクル」対「物語」という二項対立をビジュアル化してみせている。
そこで語られているのは、古典的ハリウッド映画とポスト古典的ハリウッド映画は密接に関係したものであり、互いに独立したものではない。
スペクタクル性と物語性は二項対立として考えられてきたが、それら二つが混ざり合うことによって映画の新たな世界が開ける。
ネオはそれを「必然だ」と言う。
映画をめぐるシステムの変化や技術の革新によって、新たに生まれたスペクタクル性が物語性と同化するのが必然だ、と言うのである。
そして新たな世界を作った主人公ネオは、タイトルの通り映画界に新たな「革命」を起こした『マトリックス』三部作自体を現していると言える。
『マトリックス』三部作では、ネオは選択の自由を持っていたのか、それとも因果関係に操られていたのか、わからないままである。
ポスト古典的ハリウッド映画も、いまだ古典的ハリウッド映画の影響を強く残す。
古典的ハリウッド映画の文法をあえて崩すことで古典的ハリウッド映画からの逸脱を図っても、過剰な古典主義と受け取られてしまう。
メロビンジアンの言う通り、ある意味でポスト古典的ハリウッド映画は古典的ハリウッド映画の「永遠の奴隷」なのだ。
しかし、その中で『マトリックス』は選択の自由を信じて、物語性とスペクタクル性の融合を模索した。
古典的ハリウッド映画においてスペクタクル性と物語性のバランスは均衡していた。
ポスト古典的ハリウッド映画では、そのバランスを崩しながらもなんとか形は保たれているのが現状と言える。
『マトリックス』は自らがスペクタクルを大いに利用しながら、スペクタクル性の優位に警告を発しているという矛盾を持った映画である。
こうした模索や矛盾の先にポスト古典的ハリウッド映画の面白さと、今後の映画の可能性が秘められているように思う。
この映画を、スペクタクルを賞賛している映画として受け取るか、スペクタクルを否定している映画と受け取るか。
『マトリックス』は、ポスト古典的ハリウッド映画におけるスペクタクルについての疑問を投げかけ、それについて考察する機会を与えてくれる。
ネオの生死をあえて描かず曖昧にしている『マトリックス』は、どちらとも取れるようになっており、それはあたかも観客が決めるものだと言っているようである。
ウォシャウスキー兄弟は『マトリックス』三部作で、アーキテクトの言うように「危険なゲーム」をしたのだ。
この映画を観た人の多くは、現在の映画は物語よりスペクタクルが勝ってしまっていると受け取るかもしれない。
しかし、ネオとスミスによって新しくなったマトリックスにサティがきれいな朝日を出したのは、『マトリックス』をきっかけにして物語とスペクタクルの新たな関係が生まれることを期待してのことだったのではないだろうか。


 まとめ

 古典的ハリウッド映画の歴史に始まり、ポスト古典的ハリウッド映画の代表『マトリックス』三部作まで考察してきた。
その中でわかったことは、古典的ハリウッド映画の要素は、ポスト古典的ハリウッド映画の中でも重要な位置を占めており、二つは切り離して二項対立で語れる問題ではない、ということである。
ポスト古典的ハリウッド映画のスペクタクル性と物語性についても同様である。
これらの要素は有機的に絡まり、お互いを支えあうことで、ポスト古典的ハリウッド映画は成り立っている。
『マトリックス』三部作の中で、このテーマはビジュアル化されている。
私達はこの自己言及的表現によって、ハリウッドのクリエイター達がこれからの映画の可能性を模索していることを、感じ取ることが出来た。
『マトリックス』三部作が完結してすでに5年経つが、まだ新たな映画の革命は起きていない。
しかし、歴代の救世主によって少しずつ上書きされていったマトリックスのように、映画界に「革命」を起こした『マトリックス』のような作品が積み重なっていくことで、これからの映画はさらなる進化を遂げていくのではないかと思う。
『マトリックス』のような模索が続く限りは、ハリウッドの映画は進化を続け、衰退することはないだろう。






オタクを極めるとこうなります。気をつけましょう。


最後までちゃんと読んだあなたは偉い。いや、むしろそんな人いないだろうと思うけど。
まとめるつもりがコピペの楽さに気づき、貼りつけまくっちゃった。

試験めんどくせー。
posted by ヤマ at 00:30| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

『K-20 怪人二十面相・伝』(2008年、佐藤嗣麻子) 4.5/5点

監督・脚本:佐藤嗣麻子
音楽:佐藤直紀
エグゼクティブプロデューサー:阿部秀司、奥田誠治
企画・制作プロダクション:ROBOT
原作 北村想・作 「怪人二十面相・伝」
原案 江戸川乱歩・作 「怪人二十面相」
キャスト
遠藤平吉:金城武
羽柴葉子:松たか子
明智小五郎:仲村トオル
源治:国村隼
源治の妻:高島礼子
本郷奏多
今井悠貴
益岡徹
鹿賀丈史
要潤
嶋田久作







武を観るとか良いながら怪人20面相を観た。


バイト終りのちょうど良い時間にやってたもんで。



やべぇ。期待してなかったらすげぇ面白かった。

ベタなんだけど面白い。非常に良く出来てます。



キャストが良い。松たか子が合い過ぎ。ていうか天然の令嬢とかそのまんまだしね。
仲村トオルも素敵です。
金城武はなんか演技が下手に見えたのは奥菜恵と同じなのか…?
しかし、それを周りで名優達がフォローしてる。



ストーリーも良かった。最後のどんでん返しも気持ち良いです。ベタっちゃベタなんだけど、あの程度がちょうど良いかも。

ラストの方でスターウォーズがもろ出てきたのがウケた。あの台詞は間違いない。ep.5と2で出てくるあれだもん。


オープニングのアニメが良かった。おしゃれです。
アクションも普通とは一味違うのを狙ってて新鮮だった。
エンディングの曲もかっこよかった。と思ったらオアシスだった。



唯一気になったのはCGかな。日本のCGのレベルがもう少し上がってくれればもう言うことないのだけど。『252』なんか予告編がすでにしょぼいもん。テレビ用だから画質は本物より劣るんだけどさ。



ともかく観てて気持ち良い映画です。笑いどころもたくさんあるし、子供でも楽しめるくらい単純でわかりやすい。とにかく楽しい。


デートにおススメ。泣きたい人は『WALL・E』(まだ観てない)へ。


『地球が静止する日』も観たいんだけどねぇ。キアヌだから。
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2008年12月29日

『ゆれる』(西川美和、2006年) 4/5点

監督 西川美和
製作 エンジンフィルム
   バンダイビジュアル
テレビマンユニオン
衛星劇場
脚本 西川美和
出演者 オダギリジョー
香川照之
伊武雅刀
新井浩文
真木よう子
蟹江敬三
木村祐一
音楽 カリフラワーズ
撮影 高瀬比呂志
編集 宮島竜治
配給 シネカノン
公開 2006年7月8日
上映時間 119分
製作国 日本
言語 日本語




バイト以外することがない。

というわけで、一応プロデューサー志望だし、邦画縛りで一日一本くらい観るか。


昨日はちなみに『犬神家の一族』(市川昆)をテレビで観てました。

やはり松嶋菜々子が素敵過ぎる。奥菜恵が大根に見えたのは松嶋菜々子が隣にいたからか、そういう演技だったのか…。


最近の映画に見慣れてる自分としてはもう一ひねりを期待してしまいました。




で、今日は『ゆれる』を観ました。

本当は北野武全部観ようと思ってたんですけど
「ファッキンジャップくらいわかるよバカヤロー」
が、聞きたくて『BROTHER』を借りようと思ったらなかった。

ファッキン!



で、『ソナチネ』とか『HANA-BI』があったからそっちでも良かったんだけど、たまたま目についた『ゆれる』を借りることに。


卒論で西川美和監督について書く人がいまして。それを発表で聞いたのを思い出して借りてみました。


卒論の先生が
「セックスシーンはオダギリジョーしか映らない」
「腐女子用映画(オダギリジョーと香川照之兄弟)」
とか面白いこと言ってたので興味があったのです。



感想

・普通に感動した。
・真木よう子はやばい。



兄弟のいない人は理解できない映画らしい。
俺は普通に泣けたんだが…。うーん、自分で言うのもアレだがそんなにつながりの強い兄弟ではないんだが。むしろだからか。


普通(失礼)の映画っていうのはどうも性に合わないんだけど、これは良いです。


なんか西川さんっていうのはすごいっていうのが伝わる映画でした。

若干ロードームービー的な、あのおしゃれな感じは他にはいないような。



失敗しなくて良かった。



明日は武観ようかなぁ。
黒澤も小津も溝口も観なきゃ。昔の映画は眠くなるんだよなぁ。もう少し撮るのを勉強してから観ようかなぁ。
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2008年08月19日

『ダークナイト』 5/5点

最高。




お久しぶりです。

一週間前にアメリカから帰ってきたのですが、帰国直後にパソコンがウイルスにやられ、更新できませんでした。今もかかってるんですけどね。

ついでに削除のためにいじってたら大事なファイルを削除してしまったらしく、右クリックとダウンロードが出来ない最高に不便な状態です。かなり凹んでます。

そのうち、アメリカのは書きたいと思ってます。写真もmixiに載せなきゃ。






なにはともあれ『ダークナイト』が最高だっていうお話。
これからなんか映画見に行くなら絶対『ダークナイト』がおススメです。女性には刺激が強いかも知れんが、アクション好き、サスペンス好きは必見の映画です。ていうか観なさい。



こんなに面白い映画は久しぶりだね。ていうかここ数年で一番だね、たぶん。『硫黄島からの手紙』も『プレステージ』も面白かったけど、これがたぶん一番だね。


最高です、本当に。これぞエンターテイメントって感じ。


ていうかね、もうクリストファー・ノーランは神様ですよ、本当に。

『バットマン・ビギンズ』も『プレステージ』も面白かった。この人は外さないね。後は『メメント』と『インソムニア』らしい。『メメント』は神だった。『インソムニア』だけ面白かった印象がないなぁ。最初の監督作『フォロウイング』ていうの以外は全部観てるな。そんなのはM・ナイト・シャマラン(この人は『シックス・センス』『アンブレイカブル』『サイン』『ヴィレッジ』『レディ・イン・ザ・ウォーター』『ハプニング』全部観たなぁ)とこの人くらいだろうなぁ。



人生でベスト3に入れても良いくらい。見終わった後の満足感が。

『スターウォーズ』『SAW』『ダークナイト』はどれもそれぞれ面白さが違うから順位はつけられないけど、全部最高だった。




なんだろう、なんか根本的に違うんだよね。
始まり方もそうだし、展開も終わり方も他の映画と全然違う。


脚本が神がかってる。ジョーカーにずっと振り回されっぱなしで全然追いつかない。

2時間半と長いんだけど、すごい濃いからまったく退屈しない。


間がうまいのかなぁ。長くてもあんまり疲れないんだよね。ものすごいドキドキするし怖いんだけど、どっと疲れるような感じではなかった。



ジョーカー役のヒース・レジャーが最高でした。『ブロークバック・マウンテン』の人だったか。こんなに若い人だったとは。しかも今年亡くなっているという…。惜しいなぁ。本当に最高の演技だったよ。






日本のマンガじゃこういう映画は作れないんだろうなぁ。『キャシャーン』はそれを目指したと言えるかもしれないけど。


そもそも日本のヒーローとアメリカのヒーローは設定から違うからね。

一番の違いがヒーローとしてのコスチュームがあるかどうかだと思う。

ウルトラマンは人間でなくなるから置いといて、ライダーとか戦隊ものぐらいな気がする。一般人としての姿とヒーローとしての姿が別々なのって。


アメリカは必ずスーツを着るとヒーローになる。『スーパーマン』に始まり、『スパイダーマン』『バットマン』これからだと『アイアンマン』とか。超人的な能力が認められてない世界観の中でヒーローを出すには人間と区別しなきゃいけないからかな。



最近の日本の漫画はドラゴンボールにしろワンピースにしろ元々超人的なのが認められてる(それでもすごいのがヒーローではあるけど)世界観で作られてるから、『スパイダーマン』『バットマン』で描かれているような素顔とヒーローのギャップに悩むという描写がかけないんだよね。

『X-MEN』は超人的な人達そのまんまだったけど。


やっぱりギャップに悩んだりとか、ばれるのかばれないのかっていうのは他にない深みやドキドキ感を生み出している気がする。だからこそ『スパイダーマン』も『ダークナイト』も売れているのか。まぁ国民性とかあるんだと思うけどね。日本じゃ変身ものはいまさら流行らせられないから。




そういう意味では初代仮面ライダーのリメイクとかは面白くなるのかもね。


ちなみに昔の『バットマン』でジョーカーを演じたのはジャック・ニコルソン。これだけでも観なきゃと思う。監督はティム・バートン。
アニメ版の声優はマーク・ハミル。知らない人は『スターウォーズ』観れ。




ともかく何回も言うけど『ダークナイト』は最高です。今年一番だと思う。『スカイ・クロラ』も『スターウォーズ クローンウォーズ』もまだ観てないけど、あれを越す面白さはないね。それぐらい圧倒されるエンターテイメントぷりでした。

そりゃ『スターウォーズ』の記録抜くわなぁ。
posted by ヤマ at 00:36| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

『崖の上のポニョ』 3.5/5点

今年の27時間テレビは最高に面白かった。


だいたい、24でも27でも毎年下らない企画をグダグダやっててなんも面白いことなんてないんですけど、今年はやばかった。


さんまさんはやっぱり神様だなぁ。話のふり方、広げ方のレベルが違うわぁ。

紳助、たけし、大竹しのぶとの絡みも最高でした。

ダウンタウンが出てるのみたかったなぁ。



やっぱりベテラン陣は違うね。今の芸人とかアレに比べるとカスですよ。ジミー大西の方が100倍面白い。



さてさて、タイトル通りポニョです。久々に映画ネタ。まぁジブリですから。


感想からいうと、過度の期待はしちゃいけないと思う。ただまぁ純粋に面白い。

ていうかジブリ、ストーリーもそうだけど、画の方向性もだいぶ変えてきたなぁ。

直線がほとんど存在しない。車の中と船くらい。後は手書きマックスで、懐かしい感じのアニメになってました。


ネタバレしまくるので観てない人はこれ以降見ちゃだめ。



ポーニョポーニョポニョ
posted by ヤマ at 23:47| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月19日

「earth」 3.5/5点

ネタバレあります。


なんか観ちゃいました。本当は「魍魎の匣」観るつもりだったんですけど。


時間が合わなくて。まぁ魍魎は絶対つまらないとわかってるんですけどね。原作と、配給がショウゲートなので。ショウゲートは博報堂DYメディアパートナーズの子会社で、まぁ興味あるし火曜のOB訪問で突っ込もうかなぁと思ってるので観た方が良いだろうと。まぁその程度だったんですが。明日か明後日見に行きます。




で、earth。ブラピのなんとかの暗殺とかレジェンドとか他にもちょっと観たいのはあったんだけどどいつもこいつも時間合わず。



まぁなんつうか普通に面白かったんですけど。



うーん、面白かったです、ではなくて面白かったんですけど、と言いたくなるような感じ。後一つなにか欠けているような。



映像はもちろんのこと音楽も素晴しいのだけど。

まぁやっぱりNHKのすごい版みたいな感じかなぁ。


たまにナベケンのナレーションがうざい。解説はいるけど感想はいらない、みたいな。字幕でも十分な気がする。



こども500円は画期的だと思うけどね。あの映画なら観た親は絶対子供連れて行くと思います。勉強になるし美しさに感動もすると思う。

ただこどもうるさい…。絶対色んなところで迷惑起こしていると思う…。



世界はまだまだ広いということがわかりました。トナカイが300万頭の群れで移動とか。すげぇ。トナカイってそんなにいたんだ。もしかしてロシア人より多いんじゃないか。




ホオジロザメもすごかった。ジョーズ怖い。体長5mくらいって話を聞いた気がしないでもないんだけどあれは10mオーバーでしたよ。




ただなんか中途半端なところもあったり。殺すシーンを見せるところと見せないところが。チーターがインパラ?的な動物のこどもを追っかけまわして捕まえて首に噛み付いてありえない方向に折ってるシーンがあるのに、ライオン30頭に襲われたゾウの時は、お尻にライオンが引っかかったまま逃げていったシーンの次のカットはゾウの群れに戻ってる。たぶんその後カメラが追いかけられなかったんだろうなぁとか思いつつもそういうのは統一して欲しかった。


こどもに見せたい映画なら弱肉強食の世界もはっきり見せたほうがいいんでないかと思います。でないと感想が「可愛いー。」で終わってしまう。




最初はあんまり触れないのかと思った地球温暖化についても結構触れてた。







とりあえずドキュメンタリーではないような気がするけどねー。



ちなみに昔の偉人(ただ単に忘れただけ)は「カメラを取るという行為自体が主観的なものであり、真に客観的な映像は存在しえない」というようなことを言ってました。


だから客観を装うドキュメンタリーは嘘みたいなもんですが。

ところどころにCGを割りとふんだんに使ってるのも気になった。
季節の移り変わりによって、同じ場所が春の花から夏の緑になって秋の紅葉になって冬の雪になるなんていうシーンが結構あるんだけど、早送りにしても太陽沈まないし、合成以外の何物でもないんだけど。むしろどうやってるのかっていう方が気になるけど。



ともかく美しい地球を見せたいっていうのの裏に「温暖化がまずいんですよー」っていう宣伝文句が聞こえてくるようでちょっとイヤだったかな。そこまで必死にアピールしなくてもわかってるって、きっと。学術的な映画として皆さんに取り扱ってもらって売ろうみたいな商売っ気が見えないでもない。商売なんですけど。




ちなみに配給のGAGAはUSENグループ(GYAOとか)で採用を行っているのですが、今日(今さらではあるのだけど)見たら選考参加には、説明会参加が必須な上にすべて満席。ファック!やる気のある人しか取らないとかそういうことですか?もったいないですよ、うん。ていうか説明会の回数増やせや。ありえない。名古屋まで受けに行く気はしない。




まぁなんだかんだの結論は「可愛さでネコ科に勝てる動物はいない。ただしライオンは除く。」ということです。オオヤマネコが欲しくなりました。
posted by ヤマ at 02:15| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序」 5/5点

「EVANGELION:1.0 You are (not) alone」



「笑えばいいと思うよ」






やっべぇ。ノリでバイト後に見ちゃいました。


超面白い。すっごい。びっくりした。




もう12年経つらしいですが。最初にアニメやってから。


画が超きれい。CGとの組み合わせがすごい。



そしてやっぱり注目すべきは微妙に違うストーリー。
知らない人でも全然見れるけどたぶん前のを見てた人の半分くらいしか楽しめないと思う。前のエヴァ見てた人は絶対見るべき。



声優さんがすごいとひそかに思った。シンジくんとか前とまったく同じ感じ。綾波がちょっと違うような…?委員長は別人?一言しかしゃべらなかったけど。




ラミエル(△のやつ)が超かっこよかった。あれだけでも満足。あれがCGの力か。あの動きは感動。







こっからすごいネタバレ(9/14追加項目あり)
posted by ヤマ at 00:53| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月26日

「トランスフォーマー」  4.5/5点

一気に三つも更新ですよ。第二段。




トランスフォーマー。超面白い。笑いっぱなしでした。ていうかニヤニヤ。



もうコメントなんかすることもないし必要も無い。



アホ映画です。もうこんな下らないことにいくら金かけるんだよって感じ。ほんとどんだけ〜です。



内容は小学校低学年くらい。仮面ライダー電王の方が深いんじゃね?みたいな。



トランスフォームできる宇宙人達の星で、良いやつと悪いやつが戦って星が滅んじゃって、悪いやつが狙う力の源であるキューブとやらがたまたま地球に落ちたのでそれを悪いやつらが追っかけたのを良いやつらが追っかけて地球でどんぱち。それだけ。




久しぶりにこんな薄っぺらい映画を見ました。



しかし映像がやばい。迫力がすごい。ぶっちゃけ変形とか速過ぎてほとんど見えないけど音とか、というかノリでなんかかっこいいです。


映画館で見ないとたぶんめっちゃつまらないです。迫力だけ。




ちなみに全部褒めてます。


日本でこんなアホな企画に100億円使いたいといって誰が許すでしょうか。


それをハリウッドの重鎮、スピルバーグが率先してやるというこの素晴しさ。素敵過ぎます。



200以上入るでかい映画館で見ることをお勧めします。



ちなみに愛とか大義とかそんなんなんもありません。期待しないでください。
posted by ヤマ at 23:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ゾディアック」 2.5/5点

だいぶ前に見ました。



70年代にカルフォルニア州で実際に起きた連続猟奇殺人事件のお話。デビッド・フィンチャー監督最新作。




なんていうか面白かったは面白かったけど…。



元ネタがいけないですかね。解決されて無い事件ですので、映画も釈然としない終わり方です。



長い割には次から次へとドキドキハラハラで割と最後までがんばれるんですけどね。うん、なんか微妙…。




面白かったのは前期の授業で見た「ダーティー・ハリー」が出たところ。


マスターズ・オブ・シネマというので見たのですが、まぁ最初に見たのは高3かなぁ。暇だったときに13:30から12chでやってたのを見て、こいつはかっこいい!!と衝撃を受けました。

なんといっても主人公のクリント・イーストウッドがかっこよすぎる。あの渋さは最高ですね。



で、その「ダーティー・ハリー」はこのゾディアック事件を基にした映画で、しかも事件が進行中に公開されたため、当時の客はリアルに怖い思いをしたそうな。


で、それが「ゾディアック」に出てきて、犯人を追っている刑事が息抜きに奥さんと行くのが「ダーティー・ハリー」で、うんざりして出る羽目になるうえ、「ゾディアックもハリーに任せろよ!」と冷やかされる始末。可哀相でした。




だいぶ前過ぎて印象に残ってるシーンが少ない…。
posted by ヤマ at 23:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月10日

「大日本人」  4/5点

「あの、かぁぁぁ〜の所からもっかいやってもらっていいですか?」







見ました。ついに。あれ、まだ「監督ばんざい」と「ゾディアック」が残ってる…。




意外と。




面白かった。






なんかグダグダなんだろうなぁと思いきややっぱりグダグダで最初の一時間は軽く寝そうになりましたが。



まぁでもやっぱり面白い。特にラストは会場でもかなりうけてたと思います。最初は一部の男とごく一部の女がクスクス、ニヤニヤくらいです。




まぁなんつーか全体的にユルユルです。テンポもクソもない。




テレビ番組のインタビュー形式で最後の15分まで進む映画です。


正直この形式は新しいと思う。これは褒めるところです。ずっとADっぽい人の視線と声で「獣」を倒す「大日本人」の一族である大佐藤(松本人志)を映し続けます。



ヒーローと怪獣の対決をテレビで放映して金を得る。こういう社会の構造になってるわけです。


やり方とか設定は新しいです。社会を小馬鹿っていうか馬鹿にしてる松本オリジナルの視点と言えます。


またその移し方も大佐藤が店に入るとしばらくは外のガラス越しの見にくい視点が続きます。その後は店主にインタビュー。まさに許可とって入りましたって感じのテレビ感が出てます。公園でのインタビューでは後ろでサッカーやってる少年が度々映ろうとするしそのシーンが5分近く一回も切れない長回しだったりします。




獣もなんか松本らしいグロテスクなのばっかりで。芸人使いすぎ感はありましたが。すべてにおいて。吉本儲かったろうなぁ。




まぁしかしガキ使のショージさんがやってるやつとかあんぐらいゆるい笑いに耐えられないともはや苦痛かもしれない映画です。万人受けは絶対にしないでしょう。



しかし中にはちゃんと社会風刺や国際関係の話題も含まれています。社会に対して怒るとネタになると言う松本の笑いそのものです。



俺は好きですよ?最後の15分は間違いなく笑えます。




ネタバレまくり
posted by ヤマ at 01:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

「プレステージ」 5/5点

「手品には三つの段階がある。確認(プレッジ)と展開(ターン)、そして偉業(プレステージ)だ。」




連続ですが。



やばい、これはやばい。クリストファー・ノーランはやっぱり天才です。



俺の好みど真ん中のサスペンス。やっぱりどんでん返しっていうのは気持ち良いですね。いや、途中でオチ読めちゃったけど。気づいたときにちょっと自分で感動してしまった。




それでも素晴しい。構成がすごい。ラストにいたるまでのすべてのシーンと台詞が複線になっているこの話を作れるのはそうそういないです。



「SAW」以来の興奮でした。ていうかもうラストとか一人でニヤニヤしてたし。だいぶやばい人でした。



19世紀末、二人の有名マジシャン、グレート・ダントンとプロフェッサーによる手品の奪い合い、復讐のし合い。その結果、グレート・ダントンはショウ中に事故死し、その現場にいたプロフェッサーは逮捕されてしまう。果たしてなぜダントンは死んだのか。プロフェッサーは本当に殺したのか。




「この作品はまさに手品そのもの。騙されるな。」


とはよく言ったものですが、まさにその通り。上記の三段階で映画が構成されていて圧巻はプレステージ。観客をあっと言わせて終わります。




最初と最後のつながりがすごいです。見る人は一番最初のシーンを脳ミソに焼き付けてください。そうすると思わず最後にニヤニヤします、きっと。



時系列が交錯するのでそういう映画を見慣れてないと話を追うのがきついかも。この人の得意技ですが。「メメント」では話の最後から順番に最初まで流すと言う奇想天外な話の展開方法で唖然としました。


「プレステージ」の場合、最初の方は名前と顔を覚える前に飛んだりするので大変です。でもその時系列をバラバラにすることによって観客を煙に撒き、見えてるはずの真実を最後まで気づかせない。これが素晴しい。




まさしく手品です。種も仕掛けもある。むしろ提示されている。なのに気づかない。そんなわけ無いと思ってしまう。そして最後にすべてをひっくり返される。



ほんとにこんなに気持ちのいい映画は「SAW」以来でした。これだから映画は辞められない。「シックス・センス」みたいに一発屋じゃないのがありがたいです。またこんなのを作って欲しい。



ともかくミステリーとか謎解きは得意だよって人には見て欲しい。このタネが見破れるかどうか試して欲しいです。ヒントはそこら中にあります。後は気づくかどうか。




ただ一個だけ文句を言えば、最初に「この映画の結末は誰にも言わないでください」って出すの。あれは気にくわない。「シックス・センス」のマネか知らないけど。あれを出されることによって身構えるし、最後なにが起こるんだって予想してしまう。もちろん監督的にはそれよりも期待を煽って見事に期待通り騙すつもりで出してるんだろうけど。本当に言って欲しくないなら終わった後出すべきだよなぁと一人で思ったり。



あ、後もう一個。CMが下手すぎる。あんな面白い作品がなんかB級に見える。んだけどあれ以上うまく宣伝するのも難しいんだろうなぁとも思ったり。あんまり突っ込むと中身がわかられちゃうだろうし。しかし、マリックとか出さんでもええやん。




さて、後見たい作品が「バベル」「300」「監督、ばんざい」「大日本人」「ゾディアック」。



六月は忙しすぎるなぁ。ていうか「バベル」先に見るべきだった。もううちの映画館は終わっちゃったし。やばいなぁ。






あれ?明後日カトヤ練?
posted by ヤマ at 02:16| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ハンニバル・ライジング」 1.5/5点

だいぶ前っすね。一月くらい?




なんていうか、つまらん。予想してたけど。



ハンニバルの名前をつけたら売れるんじゃないかって感じの映画ですね。まぁハリウッドも新作面白いの見つからないから続編頼りになってるんですけど。



それにしてもね、つまらん。


普通のサスペンス。っていうか謎も大して無い。
ただなんでハンニバルが人を食うようになったかと言うだけ。


ぶっちゃけそれすら微妙にいまいち。いきなり殺していきなり食ってるし。いや、子供の頃の記憶がそうさせてるんだろうけど。



後、まったく狙ってないのに妙に日本向けです。日本の話ばっかり。トマス・ハリスはそうとう日本が好きらしい。



まぁハンニバルシリーズが好きな人はふぅんと思えば良いんじゃないかな、ビデオでも見て。
posted by ヤマ at 01:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

「ホリデイ」  4.5/5点

「Did you say am I happy!?」




またまただいぶ前。もうその日に書く習慣つけなきゃだめですね。


っていうかホリデイの話の前に。





Fuuuuuuuuuuuu○uuck!!!




家の近所のツタヤが潰れました。えぇ、潰れました、なぜか。


ていうか新○安っていう駅はデパートしかない死ぬほど不便なとこで古本屋ぐらい作れやと前々から思ってるのに唯一のレンタルビデオ店が潰れるっていうのはどういうこと?

独占してたはずのものが潰れて市民は路頭に迷っとります。図書館で見るしかなくなるのかー。馬場のツタヤは遠いから返すのめんどいし、当日レンタルできないしなぁ。



はぁ、最悪。




で、ホリデイなんですが。




すっごい面白かった。なんか映画館で恋愛映画を見るのは初めてな気がしないでもないんだけど。



主役四人のキャラが濃いです。それぞれの俳優達の腕がすごいんでしょうね。みんながみんな特徴があってその表情が良いです。アップのシーンも多かった気がします。



ストーリーもまぁベタっちゃベタですがそれがラブコメってもんなんでしょう。



しかし感動します。泣けます。ジュード・ロウのラストが良かった。



後は音楽がとても印象に残りました。風の音楽がすごい良かった。


見るもん無かったらこれ見ておけば損はない。そんな感じの作品です。



さて、明日から「しんちゃん」「コナン」「ハンニバルライジング」が公開です。またガキがわんさか来るんだろうなぁ。


後、来週から9/1公開のエヴァンゲリヲンの前売りが発売。特典第一弾はネルフストラップ。すでにオタクからの質問やら電話が殺到しております。前売りに並ぶとかやめて欲しいわぁ。

ちなみに今回は四部作で「序」「破」「急」「?」という名前だそうで。見たいなぁ。
posted by ヤマ at 00:43| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

「パフューム」 3/5点

もうだいぶ前になりますが。



この映画の存在を知ってから結構見に行きたいなぁと思ってて割かし公開から早めに見に行ったのですが。




期待してたよりは・・・いまいちかなぁ。サスペンス的要素は皆無でした。いや、まぁチラシを読めばそれはわかることなんですけど。




ともかく究極の香水を作るために、良い香りのする美人を殺していくお話です。


衝撃のラスト二段階は前々から存在は知っていたのですが、なんというかまぁ衝撃っちゃ衝撃だよねぇみたいな。


いや、まぁそのラストに至るまでの伏線もちゃんとあってとってもよくわかることはわかるんだけどなんだか釈然としないと言うか。



とりあえず人殺しであるグルヌイユの心理描写や成長過程というのはしっかり書かれていてストーリー自体を理解するのは容易ですが、まぁすっきりしない。というか暗くなる映画です、見て。


まぁよくおばさん一人がたぶん勘違いして入ってましたけど間違いなくそんな内容の映画ではないっすね。


どの世代狙いなのかわからない、というか原作がすごかったからどうしても映画化したかったって感じですかねぇ。
posted by ヤマ at 01:04| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

「守護神」 4.5/5点

「死んでも守る」




まぁというわけで前の続きですが、めでたく火曜に卒検を受けることになりました。長かったー。もう一刻も早く出たい。すでに二度と行きたくない。行かなきゃだけど。



ほんとあんなストレス溜まる空間は無いですよ。もういちいちイライラする。一発合格してさっさとおさらばだ。


というわけで最近原チャリが欲しくなってきた。バイト行く時電車不便だし、夜にやるフィルムチェックに参加できないし。

でも学校始まったら学校帰りにバイト行くんだから結局あんまり使わなさそうだなぁとも思いつつ。どないしよ。





さて本題は「守護神」ですが。



めちゃくちゃ面白かった。

そこまで期待してなかったんだけどすっごい面白かった。今やってる中だったら絶対一番面白いと思います。


泣けます(泣いてないけど)。感動しまくりです。


レスキュースイマーの仕事中、相棒を失い教官となった伝説的な人物と、水泳で全米チャンプを取ったレスキュースイマーを目指す若者との絆のお話。


日本では去年ぐらいに海猿ブームがありましたが、もう圧倒的にこっちの方が面白いと思います。(映画見てないけど。マンガは面白い。)



鼻っ柱の強い若者の悲しい過去と、命を救う過程で背負う宿命。これが重なって二人に親子のような絆が生まれる。



始まり方と終わり方もうまいです。あー、ってなりました。



感動したい方、泣ける映画が見たい方。お勧めです。


さて来週からいよいよ春休みということで公開ラッシュです。


うちでも3/3から「ワンピース〜エピソードオブアラバスタ〜」「パフューム」「蒼き狼」「ゴーストライダー」といきなり四つです。「パフューム」に期待。好みっぽい。「ワンピース」に死ぬほどガキが来そう。残り二つはこけそうだなぁ。「dear friends」ほどじゃないだろうけど。
posted by ヤマ at 01:25| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マリー・アントワネット 3/5点

「これが、マダム、ヴェルサイユです。」




やっべ、すっげぇさぼってた。二週間以上更新してなかった;


まぁ最近週3,4はバイトで、残りは教習所行ったりサークルの用事で学校行ったりで忙しいわけです。ていうかもう異常だよね。学校より全然忙しい。休みが無い。

学校ある時は週一回の1限が半分しか起きられなかったのに、今は週3でそれより早く起きてますから。うーん、健康的。ていうか来年度は1限出られるようにしたいです。その前に必修以外入れないけど。


まぁそんなこんなでだいぶ前に見た「マリー・アントワネット」です。


まぁ正直な感想は男が一人で見るもんじゃないなぁとしみじみ。ていうか男が見るもんじゃないのかも。

少しは歴史というか西洋中世の文化の勉強にはなるのだけど、面白いかどうかは別の話。



なんていうかおしゃれな映画。映画の大半がパーティと買い物とヴェルサイユのしきたりなわけで。というかもうそれが全部。


ほんと最悪予告編を見ればもうそれが全部といった感じです。


おしゃれなのはすごいんだけどね。音楽はクラシックか、ギターとかガンガンなロックやポップ。この対極をうまく使いこなしてるという感じ。

ケーキとか衣装とかもすごいカラフルだし、こんなに豪勢だったんだなぁというのがしみじみ伝わります。
まぁそこが狙いなわけで後はそんなに重視されて無い様に思えます。


フェルゼンも前面に出てくるのかと思ったら意外とチラッとで終わったり。

ていうか私はマリーと言えばベルばらで(読んだ事無い)、ベルばらと言えば、オスカーとアンドレだと思ってた人なので二人とも出てこなくてがっかりしました。誰なんですか、あなた達。



まぁ女の子同士で見に行って、あれかわいかったねーとか言えば良いと思う。彼氏と行っても理解されなさそう。


あ、後終わり方。あそこで終わるのは分からないでもないんだけど、これもちょっとがっかりだったかなぁ。だって普通の人はどうなるか知ってるわけだからね。
posted by ヤマ at 01:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月09日

「ディパーテッド」 4/5点

「俺を見殺しにする気か!?」



見ました。面白かった。普通に。


マーティン・スコセッシ監督最新作。これでディカプリオと組むのは三つ連続だそうです。「ギャングオブニューヨーク」はすっごく面白かった。「アビエイター」は結局見なかったなぁ。



俳優陣が熱いです。やっぱりディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソンは良い。ジャックといえば「シャイニング」なイメージがありますが。


「シャイニング」はマジこわいっすよ、関係ないけど。あの狂った顔つき。ガクガクします。


まぁ巨匠だけあってよく出来ています。ほんとにサスペンス好きなら素直に楽しめる作品。先の読めない展開にドキドキ。いや、まぁ「インファナル・アフェア」のリメイクなのでそっち見てる人は読めるんだろうけど。



ちなみに「The Departed」で故人という意味だそうです。まぁタイトル通りたくさん人が死にます。なかなかショッキングな死に方が多いからたぶん15禁なんだろうなぁ。



やっばい、あんま書くことないや。



次回はもっと書くことない「マリー・アントワネット」をお送りします。その次は「どろろ」も見る予定。「墨攻」は時間に余裕があれば。「守護神」も見るけど。映画漬けだなぁ…。公開作品だけじゃなくもっとビデオに手を出さなきゃいけない今日この頃。



ちなみにバイト先では先週の土曜から始まった「Dear Friends」ってやつが一日に合計7人(四回上映)という奇跡的動員を見せていて驚かされるばかりです。はるかに昔に公開した朝一回しかやらない「どうぶつの森」に負けるってどういうことよ?

Yoshiの原作読んでる人いるのかなぁ。本は面白いのか、訊いてみたい。映画は絶対つまらん。予告編がすでにつまらん。








・・・・・・見たい映画があれば誘ってください。
posted by ヤマ at 00:21| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

「それでもボクはやってない」 3/5点

「うっかりとはどういうことですか!?被告人の人生がかかっているんですよ!?」




「それでもボクはやってない」または「さるでもわかる刑事裁判」もしくは「超リアル逆転裁判」。



って感じでしょうか。痴漢の疑いで女子中学生に現行犯逮捕された青年のお話です。


なんていうか、簡単に言うと「裁判って言うのはこんなにも難しくて分かりにくいんですよー」っていうのを分かりやすく説明した映画。


留置場のオジサンやら弁護士やら友人やらが難しい単語を一から十まで説明してくれる。そしてそれに対比させた裁判官と検事のわけ分からなさ。呪文のように早口で用語を並べ立て、お母さんがぽかぁんと口を開けているシーンが監督の語りたい裁判の現状とやらだろう。



最初はとってもドキドキなんだけど、途中から飽きちゃうかなぁ。たぶん、監督も分かってて時間を長くしてるんじゃないかと思います。裁判というもののわずらわしさとか時間がかかるということを表現しているんでしょう。



こういうの見ると余計刑法とか裁判の仕組みとか勉強してみたくなります。そんな軽い気持ちで手を出すと死ねそうですけど。勉強してる立場から見たい件もちょっと聞いてみたい気がします。まぁプロの仕事ですからきっと現実とまったく同じように出来ているんでしょうけど。


陪審員制度が騒がれてる昨今を狙った映画だと思います。こうして見るとやっぱり裁判という場は一般人には縁遠い気がしないでもないです。
posted by ヤマ at 23:53| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

鉄コン筋クリート 4/5点 ネタバレしまくり

「クロがもってないネジ、シロがみんなもってる〜〜!!!!!」



松本大洋原作の漫画、奇跡の映像化!



だそうです。


あんまり期待してなかったんだけどむっちゃ面白かった。好みどんぴしゃ。はい、本当にすごい楽しめました。


最初の30分くらいたるくてあぁ、微妙なのかなぁと思ったら、殺し屋が出てきた辺りから激アツな展開に。最後までずっと引き込まれっぱなしでした。


話は


暴力とヤクザのまち、宝町。そこには暴力で町を牛耳るネコと呼ばれる二人の少年、シロとクロがいた。彼らは気に入らないものはぶっ飛ばし、スリをしながら暮らしていた。しかし、宝町にも再開発と共に不穏な動きが見え始め、そこにはヤクザをも操る蛇という者の影があった。今までの宝町を守るためにクロとシロは彼らに戦いを挑むのだった。


なんか自分でこういうの書くのやだな。下手さがあふれ出る。




キャラが良い。キャラクターの設定が素晴しい。キャラ付けというか位置づけというか。


後は映像がすごすぎる。最近のアニメはすごいね、本当に。どうやってるんだろう。ほとんどCGと手書きの境目がわかりません。それと本物のカメラワークみたいな動きがたくさんあるのね。走ってるところを追いかける視点がハンディみたいに揺れてるとか、180°回転して裏側まで見えるとか。とにかくすごい。



話的には別にミステリーとかじゃないんですが、物事を深く考える人にお勧めです。暗示のオンパレードなのです。キャラそのものからもう暗示というか、伏線というか。



クロとシロ。二人の主人公の少年。「純粋な心を信じるシロと純粋な力を信じるクロ」だそうです。
「神様が失敗したからネジが足りない、シロ。同じくクロ。でもクロのたりないネジは全部シロが持ってる。」だから、「二人一緒じゃないと見つからない。」





クロとシロ。黒と白。暗と明。影と光。名前そのものが二人の性質を示している。


対極の性質を持つ二人。暴力が支配する宝町ではシロの力が弱すぎるからクロが守って暮らしている。でも本当に守られているのは完全に黒に染まってはいないクロの方。シロと一緒だから大丈夫。


しかし殺し屋に刺されるシロ。シロの力が弱まった時、クロは黒い力に目覚め、伝説の最強の餓鬼、イタチと成る。




イタチに心を支配され暴力の限りを尽くすクロ。心の底まで支配されそうになった時、シロの声が届きクロは開放される。





劇中における火は最初にあるように「暖かい優しさの中に破壊と暴力を秘めている。」

つまりシロとクロ、両方の性質を持つものとしての火。最後の場面、イタチの手を放してクロはシロの声のするマグマの中に飛び込む。これは暴力の象徴としてのマグマの中にあるシロの部分を信じたということ。結果、クロは見事に開放される。


後、水も火と同じ役割なのかなぁ。基本的にはシロの夢の中で、水中は夢、水面に出ることはすなわち現実に戻ることを意味してましたが。夢は寝ている夢と理想の夢とがかかっていて、一度窒息する夢も見ているから、おそらく楽園のような水の中にも危険が含まれているということを書きたかったのだと思います。あるいは二人一緒にいるときは、クロにも白い部分が、シロにも黒い部分があると言いたかったのか。




ネズミ。宝町で育ったヤクザ。この人もクロとシロの中間のような気がします。名前からしてね。ねずみ色=灰色ですから。
黒になりきれずに、結局は死を選んだネズミ。むしろ彼はシロに近かったのかも。クロは彼の死でさらに動揺して堕ちていったから。


後は…、タバコとか絶対なんかありそうなんだけど、わからなかったなぁ。執拗に出てきたからなぁ。



他にも脇役がすごい良い。木村がほんと泣ける。一番好きなキャラです。


もう一回見たいです。それくらい面白かった。マンガ買おうっと。



選曲会の…
posted by ヤマ at 02:21| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月27日

「父親達の星条旗」 4/5点

「俺を英雄と呼ぶな」



順番が逆になっちゃったけど、見ました。二部作前編。



まぁ二部作といってるけどほぼ別の映画です。というか方向性が違うというか国民性が違うというか、狙う国民が違うのだから同じ戦いを描いてもそのテーマが違うのですね。



「硫黄島からの手紙」は完全に戦場がメインでその中の人間ドラマがメインでしたが、「父親達の星条旗」は硫黄島戦後のプロパガンダとそれに巻き込まれた人間の生き方がメインでした。


なんていうか暗い感じの映画ですね。後「硫黄島」を見たアメリカ人もきっとそう思うんだろうけど、きっと本当に理解できるのはアメリカ人だけなんだろうなぁと見て思いました。正直この年代ではあの写真のこと知ってる人も少ないだろうし、やっぱり日本人には「硫黄島」なんだなぁと思った。



しかしフラッシュバックで入る戦闘シーンはやっぱりゾクゾクします。特に戦闘機からの視点のやつ。三回ぐらいあったけどあれがほんとかっこいい。ゲームみたい。むしろ本物があんな感じなんだろうからゲームがすごい。



話としては硫黄島戦の初日に立てられた旗の写真に写って、その後生き残った三人の兵士が、国債を買わせるために役人に利用され、苦悩したりの人生を描いている。


英雄扱いを思う存分利用する者、静かに従う者、受け入れられず苦悩する者の三人がメイン。苦悩するインディアン出身の人がきつい。もうなんとも言えないやりきれない感が残るお話。


面白かったけどやっぱり「硫黄島からの手紙」の方が肌に合う感じ。

最後に「硫黄島」のCM流すのがずるいね。もう一回見たくなっちゃったもん。
posted by ヤマ at 22:25| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画(ネタバレあるかも) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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